舞台『炎の蜃気楼 昭和編 瑠璃燕ブルース』全公演、無事終了しました。
すでに千秋楽から一週間経っておりますが、やっといろいろと落ち着いてきましたので、振り返ってみたいと思います。
今回の劇場は北千住にあるシアター1010でした。
前回よりもキャパ二倍以上の大きな劇場で(キャストさんが揃うスケジュール優先で空いていた劇場のひとつが1010だったとのことですが、もちろん興行的な勝算があったからこその辻p様のご決断だったわけでして)ふたをあけてみれば、連日たくさんの方に来て頂けて、二階席まで埋め尽くした光景は本当に壮観でした。
内容もスケールアップして、見応えのあるものに。
演出の松崎史也さんは、前回の伊勢直弘さんの演出をベースに置きつつ、心の機微を捉える丁寧な描き方とダイナミックなアクション、その両方を同じ熱量で舞台に載せてくださいました。
『瑠璃燕ブルース』は、戦災孤児だった若者の絆の物語でもありました。
次郎(三千夫)役の中村龍介さんは、ひとつの舞台でこれだけ熱も想いも色調変化も求められる役は本当に大変だったと思うのですが、見事な集中力で演じ遂げてくださいました。リアルファイトもすごかった。
そしてナッツ役の川隅美慎さん。「瑠璃燕」のタイトル通り、ナッツという若者の抱えてきたものをまっすぐに胸に届けてくれたと思います。最後の場面で披露するドラムのために先生のもとで猛特訓したとのこと。その成果が存分に出た、良いラストでした。
ミラージュは夜叉衆のストーリーを縦軸にしつつも、エピソードごとの主役は、現代人であるという。今回は、そういうふうに現代人に寄り添って生きてきたであろう夜叉衆の姿が、印象深く。
その一方で、景虎(加瀬)と直江(尚紀)の関係性も掘り下げられ。
見せ場のひとつでもある氷のシーンは、客席の空気が凄かった。物音ひとつ立てない、立てられない。そんな緊張感の中で、たったふたりの対峙。広い広い舞台の中で、そこにだけ全てが集中するあの感覚。そういう研ぎ澄まされた空気を生み出した景虎役の富田さんと直江役の荒牧さん。見えない刀で切り結ぶようなやりとりでした。
景虎役の富田翔さんは、観に来てくださった関係者のご友人から「真ん中に立つ覚悟のある人が真ん中に立つ舞台」だとお褒めいただいたほど、この作品を役を背負って演じているのがひしひしと伝わり。取り組み方から何から真摯。そして景虎ならではの色気が素晴らしく。我らが座長は情熱のかたまりでした。
荒牧慶彦さんは前回の舞台でかなり直江という役に悪戦苦闘されてたようですが、今回は、役を掴んだという自信が演技にもはっきりと出ておられたように思えます。あのささやきには、本当にぞぞっとしました。四〇〇年生きた人間の厚みというものを、体得していっている。あの難しい感情も。その進化と成長ぶりにまたまた驚かされました。
(長くなりましたので、次に続きます)
(※10/23 ちょっぴり訂正しました)