Diary

終戦の日によせて

  • 2013/08/15 15:34

※ちょっと長いです

先日、明治大学生田キャンパスにある明治大学平和教育登戸研究所資料館に行ってきました。

登戸研究所とは、旧陸軍の秘密戦に関する研究開発を行っていた施設で、研究施設跡をそのままミュージアムにした、とても珍しい資料館です。同時に、貴重な戦争史跡でもあり、キャンパス内には往時の姿を残した場所がいくつか。
登戸研究所については、本では読んでいたのですが、実際にその場で展示をみると、臨場感があり、ずしりと重いものがありました。

風船爆弾や電波兵器(電磁波で敵を攻撃するというものです)……その他、生物兵器、毒物兵器、スパイ機材の開発などを行っていて、戦争の名の下に科学が利用されたということを克明に教えてくれます。優秀な人材とともに、たくさんの近隣のひとたちが働き手として携わっていたそうです。残っている資料をもとに、戦争の暗部ともいえる部分を、記録にとどめて自戒とすることを目的としているのだとか。
夏期特別展で「731部隊」の展示パネルもありました。そちらはあまりにも重く、目を背けたくなる内容でしたが、登戸研究所の研究とは地続きでもあるゆえに、避けては通れない事実なのだと理解しました。

人は自らの後ろ暗さや後ろめたいことに対しては、口を閉ざします。当事者が口を閉ざすので、後世にはなかなか伝わりません。歴史の闇に埋もれていきます。
ですが、中には自らの罪と過去を勇気をもって語り残そうとする方もおられます。そういう方々の真摯な想いに応えるためにも、私は「自ら知ろうとする姿勢」をもっていたいと思いました。

平時であれば、ごくありふれた善良なひとたちを、戦争はいともたやすく非人道的な行為に走らせる。どの国においてもそれだけは共通する。戦争とはそれそのものがそういう「装置」であり「システム」なのだということに、気づかない限り、人は何度でも同じ間違いを繰り返す。確かに今の戦争は、かつてのような総力戦ではないというかもしれません。それでもそれらは、いくらでも形を変えて顕れる。私たちは私たちにそうさせたものの正体を過去から学ばなければならない。そして「人間は、そうなる」ことを常に心に留めておかなくては。

終戦の日、空襲や特攻隊のことは、よくとりあげられます。空襲に関しては、現場が身近であり、無差別攻撃による被害をうけた側であること。特攻隊に関しては、そのあまりの悲壮さゆえに悲劇として語られやすいということもある。戦争がむごいのは人が死ぬから。それは間違いない。戦争経験のある方々が高齢になっていく今、痛ましい記憶を薄れさせないよう語り継ぐ意思がますます必要になっていくのだと感じます。同時に戦争が恐ろしいのは、その本質その根には「自分自身に非人道的な行いをさせること」「(他の誰かではなく自分自身を)〝人を殺す生き物”にしてしまうこと」があるからだということも、忘れないでおきたいと思いました。

※8/18 加筆しました`

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